談話室

(c)福井県立若狭歴史博物館

第1回

矢来町(講正学舎発祥の地)

地下鉄東西線神楽坂駅から新潮社の方へ歩けば矢来町となります。寛永五年(1628年)に酒井忠勝はこの地を拝領し下屋敷としました。その後寛永十六年に江戸城の火災で将軍家光がここに避難した際、警護のため周囲に竹矢来をめぐらしたことから、この地は矢来町と呼ばれるようになったと言われています。

藩邸の規模は約4万坪という広大なもので、千人を超える藩士たちが生活していたようです。現在の矢来町は戸建住居・マンションが並ぶ閑静な住宅地で、交通の便も良いところから人気のエリアです。

平成16年、元福井県教育委員長の中島辰男様のご尽力により、矢来町公園の中に小浜藩邸跡を記す碑が設置されました。設置から14年が経過した現在では、正面に小浜藩邸跡、左側面に杉田玄白生誕地と刻された碑は周囲の景色に馴染み、公園の好ましい景観を造り出しています。

矢来町公園のすぐ近くには観世流の矢来能楽堂があります。小浜藩は能楽に大変熱心な藩であったようで、永年に亘り観世流の能楽師の方々のご指導を受けてきたようです。若狭には橋懸りを有する能舞台を持った神社も多くあり、能舞台の数は佐渡に次ぐとも言われています。

今回初めて矢来能楽堂の中に入り、観世喜之様と観世喜正様からお話しを伺うことができました。喜之様は初代の講正学舎(1900~1955年)のことをよくご存知でした。

平成30年12月15日
酒井 忠和
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