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公益財団法人 雲浜奨学会

住所
〒156-0043 東京都世田谷区松原2-34-6
電話・FAX
03-3327-7800

公益財団法人雲浜奨学会業務関係

講正学舎の歩み

講正学舎は明治33年(1900年)11月3日に創設され、その名称は旧若狭小浜藩の藩校「講正館」に由来します。

第1期(1900年~1955年)
【矢来町時代・学生寮】
旧小浜藩主酒井家第16代当主酒井忠道により創設され、新宿区牛込矢来町の酒井家邸内に、木造2階建ての学生寮として発足しました。
江戸情緒の残る神楽坂に近く、早稲田や法政の学生は歩いて通学していたようです。
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講正学舎発祥の地の矢来公園にある小浜藩邸跡石碑。石碑の裏には杉田玄白生誕地の文字(蘭学医、解体新書刊行)

第2期(1955年~1995年)
【吉祥寺時代・学生寮】
都心を離れ郊外の武蔵野市吉祥寺北町に、木造2階建ての建物2棟を新築して移転しました。
武蔵野の林に囲まれ、敷地にはテニスコートがあり、成蹊学園に隣接した自然環境に恵まれた学生寮でした。
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写真1番目 ▶ 中庭を挟み北館と南館があり、四畳半の和室に二人が入る相部屋形式でした。

写真2番目 ▶ 武藤太啓雄氏(写真中・元舎監)、藤田忠康氏(写真左・前舎監)には、多くの舎生がお世話になりました。

写真4番目 ▶ 講正学舎は中央を走る扶桑通りの左側にありました。現在は十数棟の一般住宅が建っています。

第3期(1995年~)
【現在・学生専用マンション】
吉祥寺の建物が老朽化したため、平成7年3月に現在の世田谷区松原に移転しました。
鉄筋コンクリート造り、地上4階・地下1階の近代的なワンルームマンションとなりました。
明大前駅(最寄駅)から渋谷・新宿までいずれも約10分と交通の便は極めて良く、都内・都下のほとんどの大学へ通学可能です。
更に新しい取組みとして上層階のリニューアル工事を行い、平成31年4月から女子の入舎が始まりました。
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酒井忠道記念特別奨学金

雲浜奨学会が実施する奨学金は、講正学舎の創設者である酒井忠道の名を冠する給付型の奨学金です。

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▶酒井忠道伯爵名の学生寮宿舎建設主意書

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▶絹本著色酒井忠勝画像

小浜藩酒井家と育英事業
小浜藩主酒井家は徳川家に古くから仕えた譜代大名です。酒井家第二代当主の酒井忠勝は、寛永十一年(1634年)に三代将軍徳川家光より小浜藩を拝領しました(川越藩から小浜藩への転封)。その後酒井家は幕末に至るまで小浜藩主として領内を治め、幕府内で要職を務めました。
2代
忠勝(ただかつ)
大老、老中
6代
忠音(ただおと)
老中、大坂城代、寺社奉行
8代
忠用(ただもち)
京都所司代、大坂城代
11代
忠進(ただゆき)
老中、京都所司代、寺社奉行
13代
忠義(ただあき)
京都所司代、寺社奉行
14代
忠氏(ただうじ)
寺社奉行

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酒井家の歴代当主は学問の奨励に熱心に取り組みました。藩校の「順造館」は多くの優秀な人材を輩出しました。また酒井家の江戸下屋敷内に置かれた藩校「講正館」は、現在では学生会館「講正学舎」となり、その伝統を連綿として受け継ぎ、東京の大学に学ぶ多くの俊才がここで学生生活を送っています。更に旧小浜領内では、酒井伯爵家より学業優秀な人材へ与えられた奨励賞がありました。なお酒井家が編纂させた藩政資料は酒井家文庫として小浜市へ寄贈され、さらなる研究の進展のために役立てられています。
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▶福井県立若狭高校の正門(藩校の順造門)

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▶酒井伯爵家授与の賞状

資料提供:福井県立若狭歴史博物館